東京地方裁判所 昭和41年(ワ)11306号 判決 1967年12月25日
原告
岩田しづえ
代理人
山本孝
被告
吉田肇
代理人
早川静男
主文
一、被告は原告に対し、二六万円およびこれに対する昭和四一年一二月二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二、原告のその余の請求を棄却する。
三、訴訟費用はこれを四分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
四、この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮りに執行することができる。
事実
第一 当事者の求める裁判
一、原告「被告は原告に対し、八六万円およびこれに対する昭和四一年一二月二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言
二、被告「原告の請求を棄却する。」との判決
第二 請求原因
一、(事故の発生)
昭和三八年五月一五日午後四時五〇分頃、埼玉県本庄市大字小島二二二番地の五先国道一七号線において、訴外吉田努の運転する普通乗用自動車(五ら四〇四五号、以下本件自動車という。)と訴外岩田捨五郎(以下被害者という。)の運転する第一種原動機付自転車とが接触し、そのため被害者は重傷を負い、同日午後一〇時二〇分死亡した。
二、(被告の地位)
被告は、本件自動車を自己のため運行の用に供する者であつた。
三、(損害)
被害者の慰藉料
(一)被害者は、大正元年一一月一日生まれの健康な男子であつたところ、本件事故により突然重傷を負い死亡するまでの約五時間半多大の精神的、肉体的苦痛を蒙つたが、右苦痛に対する慰藉料としては一八〇万円が相当である(被害者本人の死亡自体による慰藉料請求権を主張するものではない。)
原告は被害者の妻として、同人の死亡により被害者との間の子三名とともに、右慰藉料請求権を相続により承継取得したものであつて、その相続分は三分の一であるから被告に対して六〇万円の請求権を有する。
(二)弁護士費用
原告は、前記子三名とともに、原告らの、本件事故に基づき被害者が蒙つた逸失利益相当の損害賠償請求権を相続により承継取得した分、原告ら遺族が有する被害者の死亡による固有の慰藉料請求権および原告の蒙つた入院治療費、葬儀費用等積極支出による損害賠償の各支払請求に応じない被告を相手とするこれら損害賠償請求の訴訟提起を、東京弁護士会所属弁護士山本孝に委任するのやむなきに至つた。その訴訟は東京地方裁判所昭和三九年(ワ)第五八一号損害賠償請求事件(以下前訴一審事件という。)として係属し、本件原告らの請求のうち本件被告につき合計一五六万五、九〇一円の支払を求める部分が判決により認容されたが、本件被告から控訴がなされ、東京高等裁判所昭和四一年(ネ)第二六七号損害賠償請求控訴事件(以下前訴二審事件という。)として係属中、本件被告は本件原告外三名に対し一審判決で認容された金額全額の支払義務あることを認めたうえ、そのうち合計一二〇万円を支払うこととする裁判上の和解成立により終了した(なお本件被告はこの和解金を全く支払わなかつた)。
山本孝弁護士はその間終始訴訟代理人として活動したので、原告は同弁護士に対し他の三名の分をも合わせ手数料、謝金を合算して前訴一審事件については一六万円、前訴二審については、一〇万円合計二六万円を支払つたが、この支払は本件事故に基づき原告の蒙つた損害というべきである。
四、(結論)
従つて、原告は、被告に対し前項(一)(二)の合計八六万円およびこれに対する本件訴状送達の翌日である。昭和四一年一二月二日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三 請求原因に対する被告の答弁
一、請求原因第一、二項は認める。
二、同第三項は不知。
第四 証拠<略>
理由
一(事故の発生および被告の責任)
原告主張の日時、場所で本件自動車の運行による事故が発生し、被害者が重傷を負い事故後五時間半を経過して死亡したことおよび被告が本件自動車を当時自己のために運行の用に供する者であつたことは当事者間に争いがないので、被告は自動車損害賠償保障法第三条により後記損害を賠償しなければならない。
二(損害)
(一)被害者の慰藉料
原告は、被害者が受傷してから死亡するまでの間に蒙つた精神的、肉体的苦痛に対する慰藉料請求権を取得し、これを原告が相続した旨主張する。
よつて、判断するに、右のとおり被害者は本件事故により致命的な重傷を負つたのであるから、その精神的、肉体的苦痛が多大なものであつたことは容易に推認されるところであるが、その苦痛が多大であつたとしても、元来受傷後相当時間内に死亡した場合には単に死亡による慰藉料請求権のみを認めれば足り、それ以外にこれとならんで受傷から死亡までの間の傷害による慰藉料請求権が発生するとする考え方自体余りにも技巧的な構成で不自然であるのみならず、仮りにそのような慰藉料請求権を考えるとしても、かかる傷害による精神的、肉体的苦痛は高度に、個人的、主観的、人格的色彩の強い損害であるから、その賠償のための慰藉料請求権は、いわゆる帰属においても行使においても、一身専属的性質を有しその本質上ただちには相続の対象とはならないと解すべきである。もつともたとえば被害者の請求に応じ加害者が慰藉料の支払を約した場合のように請求権の個人的、主観的色彩が稀薄となつたときは、これによつて慰藉料請求権は、その有する一身専属性から解放され、通常の金銭債権と同視しうべきものに転化し、相続の対象となることもありうるけれども、右のような特別の事情の存することの主張立証のない本件においては、事故に基づく傷害のため短時間内に死亡した被害者本人について一旦慰藉料請求権が発生したと見うるとしても、それはその死亡と同時に相続人によつて承継されることなく消滅するのである。原告が被害者の妻であつたことは当事者間に争いがないけれども、以上の理由により被害者の有したとするその負傷による慰藉料請求権を原告が相続する由がない。なお被害者の死亡による慰藉料請求権は原告の主張しないところであるが、そもそも被害者死亡の場合には被害者自身が自己の死亡に基づく慰藉料請求権を取得するということはあり得ず、ひいてその慰藉料請求権を相続人が相続するということもないのであつて、むしろその場合には被害者の有した権利の相続としてではなく遺族固有の権利として被害者の近親者たる父母、配偶者および子に対し特別に被害者の死亡による慰藉料請求権が認められるのであるから前示の被害者の蒙つた苦痛はこの遺族固有の慰藉料額算定について十分斟酌されることを要し、かつそれをもつて足るというべきであろう。現に後記認定のとおり前訴第一、二審事件において既に本件事故に基づく被害者の死亡を理由として本件原告およびその三名の子が遺族固有の慰藉料請求権を主張し、これにつき本件被告がこれを認める裁判上の和解が成立したのであるが、その際右の慰藉料の算定については当然被害者の死亡直前の苦痛も斟酌された筈であり、また斟酌されたと推認することができるのである。以上要するに原告のこの点の主張はそれ自体理由がない。
(二)弁護士費用
<証拠>によれば、本件事故の後本件被告は本件原告らに対してその蒙つた損害を任意に賠償しなかつたので昭和三九年一月二四日ごろ本件原告はその子三名(訴外岩田勝義、同岩田達夫、同岩田保)の分をも合わせ、東京弁護士会所属弁護士山本孝に対し前訴の提起を委任し、同弁護士が東京地方裁判所に訴を提起した(前訴第一審事件)ところ(その請求の内容は本件被告外二名に対し各自本件原告としては被害者死亡による固有の慰藉料六〇万円、入院治療費葬儀費用等の積極損害六万五、九〇一円、被害者の逸失利益による損害のうちの相続した分として一一万九、〇四八円、本件原告の子三名としては各前同様の慰藉料三〇万円、逸失利益による損害のうちの相続した分として七万九、三六五円およびこれら各金員に対する昭和四〇年四月一九日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払を求めるもの)、その事件においては判決をもつて合計一五六万五、九〇一円が認容され(逸失利益の請求については既に支払を受けたものと認定されて理由なしとして棄却、その余はすべて認容)、本件被告よりこれに対し東京高等裁判所に控訴があり(前訴二審事件)において本件被告は本件原告らに対し前訴一審判決主文どおりの金額の支払義務あることを認めたうえ、本件原告らに対する各三〇万円合計一二〇万円を昭和四一年九月末日限り支払つたときは、本件原告は残額の請求を放棄するとの趣旨の裁判上の和解が成立したこと、本件原告は同弁護士に対しその子三名の分をも合わせ前訴一、二審事件の手数料および謝金として同年八月三一日までに合計二六万円の支払をしたことが認められ、前訴一、二審事件の難易、一審の認容額、二審の和解金額その他諸般の事情を考慮すると、右金額全額が本件事故と相当因果関係に立ち被告がこれを賠償すべき損害ということができる。
ところで<証拠>によれば、原告は前訴一、二審事件を通じ、本件で請求している弁護士費用はこれを請求していなかつたのであるが、前訴二審事件における和解条項中には前示のように本件被告は本件原告らに対し前訴第一審事件判決で認容された額全部の支払義務あることを認めたうたうえ、本件被告が本件原告らに対し一二〇万円を昭和四一年九月末日限り支払つたときは本件原告は残額の請求を放棄する旨の条項があり、前示弁護士費用相当額の損害賠償請求権その他の債権、債務関係については何らの定めも記載されていないことおよび前記和解金額一二〇万円は期日にはもとよりいまだに全く支払われていないことが認められる。右のように裁判上の和解において債務者が一定額の支払義務あることを確認したうえ、そのうちの特定の額を支払つたときは債権者は残額の請求を放棄する旨の条項のある場合においては、右の支払うべき一定金額が履行期に約定どおり支払われる限り、当事者間において放棄することを約した残額請求はもとより当該紛争(本件に即していえば本件事故)に基づく一切の債権、債務関係は消滅することが合意されたものと推定するのが合理的であるけれども、右一定の和解金額の履行が遅滞したときは、債務者は右残額免除の利益はもとより、当該事故に基づくその余の一切の債務消滅の効果を受けることを得ず、債権者はなお残額を請求しうるほか、当該事故に基づくその余の請求権についてもこれを訴求しうるものであることは当然である。
三よつて本訴請求中前項(二)の弁護士費用相当額の二六万円およびこれに対する本件訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四一年一二月二日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるのでこれを認容し、その余は失当として棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。(吉岡進 薦田茂正 原田和徳)